旅いくのススメ/都会を支える自然へ

 

ph_author_02こんにちは。JTB法人東京・お茶の水女子大学旅いく研究チームの宮本康司です。生態学を専門としています。生態学とは、自然や動物など地球上にあるさまざまな環境のしくみを解明する学問。そして、そこから得た情報や知識を環境教育の実践に生かしています。自然のなかには、まだまだ人間が知らない情報がたくさんあります。これまで監修した『旅いくファーム』も、そんな環境のパワーを発見し、それを人間社会に取り込んでいくプログラムになっています。このコラムでは『旅いくファーム』の紹介を兼ねつつ、自分の子どものころの話などをしていきます。

 

宮本康司先生

東京家政大学環境教育学科講師、理学博士
東京工業大学生命理工学研究科博士課程修了。お茶の水女子大学特任講師、同大学特任准教授を経て、2011年より現職。 専門分野は行動生態学、環境教育学、科学教育学。

※こちらの記事は2012年『旅いくLabo.』のコーナーに掲載された内容となります。ご承知おきください。

1)自然は、情報の宝庫!

観察は見るだけじゃない。触ったり、かいだり、いろんな感覚を使う。

あああああああああああ

自然のしくみを解明しようなんて思っていると、都会はつくづく多様性が少ないな、と感じます。

一見、ビルや電化製品、情報機器などモノがあふれているように見えても、そのほとんどが人工物。つまり、たった一種の生物である人間の頭の中から生まれたものばかり。だから、みんな似ているし、自ずと限界があるんです。その点、自然は人間の想像をはるかに超える多様さであふれています。そんな自然界のすごさをたくさん見て、聞いて、嗅いで、触って、味わって、人間の創造力は豊かになっていくし、それが心が育つことにつながるんです。

だから、『旅いくファーム』でも、第一回目では、まず「土」をのぞくことから始めます。それも林の土と畑の土をそれぞれ見比べてもらう。顕微鏡を使ってじっくり見ると、ただの「土」も、環境により形状や生息している虫など、それぞれ異なった情報がつまっているのが見えてきます。子ども達は、自分が見つけたことを次々に教えてくれますが、発見する喜びを味わっているんです。

僕は横浜育ちですが、2歳の頃から土をほじくり返していたホームビデオの映像が残っています。都会でも、庭や公園など、自然を観察できる場所はたくさんあります。

休みの日に、親子でちょっと土をほじくり返してみませんか。

2)観察は発見のタネ

「どうして?」「なんで?」を調べるための感覚が子ども達に多くの発見をもたらす

ああああああああああああ

よく「研究者は探偵であれ」と言われます。

研究の第一歩は、まずモノを見ること。どんなモノでも「知ってる」と思い込まずに、まずしっかりと「観察」をする。すると、見たことのあるモノ、知ってるはずのモノなのに、
なぜこんな形をしてるんだろう?
どうしてこんな行動をとるんだろう? 
といった「どうしてなんだろう」という気持ちがわいてきます。

そこから、興味や集中力が育ち、そのモノについて考える、そして、探偵と同じように、自分なりの推論をあて、それを立証していく作業に入るのです。

これは、研究に限らず、子育てにもあてはまります。ワークショップなどをやっていると、ときどき「子どもに集中力がない」とか「もっといろいろなことに興味を持ってほしいのに」などの相談を受けることがあります。でも、そう思う大人のほうは、子どものことをよく観察してますか?

「知ってる」と思い込まず、子どものことをよく観察してみてください。そして、子どもの行動や言動を「どうして?」と考え、その子がなにを考えているのか、なにを望んでいるのか推理してみてください。きっといろいろな発見があるはずです。

親子で過ごす「旅いくファーム」は、お子さんを「観察」し、子育ての糧とできるようにプログラムされている、ということも知ってもらえると嬉しいです。

3)チーム力を鍛える

チームで1つの目的をもった作業を行うと、1+1が5にも10にもなる

あああああああああああああああああ

『旅いくファーム』の目的は、「子どもの生きる力を伸ばすこと」ですが、そのためには個人の力とともにチームの力を伸ばすことが大切です。そこで、『旅いく』では、各プログラムの内容や参加者人数等に合わせて、あるときは家族単位で、あるときは異年齢の縦割単位で、ときには大人と子どもに分かれてなどなど、いろいろなチーム分けを行います。

チーム分けで効果が出ることのひとつに『人とつながる力』があります。家族単位でもチームとして作業を進めると、子どもは、親がチームの一員として積極的に参加しているかどうかを見抜きます。そして、チームのために親が一生懸命参加しているのを見ると、どんどん触発されるんです。

続いて、大人同士と子ども同士のチーム分けにステップが進むと、子ども達は、チームの中で、それぞれにふさわしい役割を見つけるし、大人も大人同士だと知ったかぶりできず、作業にも真剣に加わざるを得ない。すると二時間ほどの体験でも、みんな助け合うし、相手のことを考える。つながるし、打ち解けて仲間のようになるんです。

つまり、チーム分けのステップを取り入れることで、家族としての活動から「人と協力しよう」、「初めて会うともだちとも仲良くしよう」、「年齢の違うともだちとも協力しよう」といった活動になっていき、『人とつながる力』が伸びることになります。その場にふさわしいチーム分けは、『旅いく』に限らず、地域や学校での活動にもどんどん取り入れてほしいと思います。

4)兄は虫 僕は魚

親を素直に尊敬できたので、小学校の卒業文集に『将来の夢は八百屋』と書いた

ああああああああああああ

身内のことで恐縮ですが、親の方針は自分にとって、とてもありがたかったと思います。

兄弟のいる人の多くは納得されると思うのですが、同じ親の遺伝子を持ち、同じ家庭環境で育っても、兄弟は多種多様です。僕には兄がいますが、兄とはまったく趣味し好が異なります。実家が八百屋のせいか、二人とも幼いころから生き物に興味はありましたが、兄は虫好き、僕は魚好きとそのフィールドははっきりわかれていました。でも、うちの親は、二人一緒に遊べとは強制しませんでした。兄は虫取り網を持って、僕は釣り竿を持って、それぞれ好きな方向に遊びに行っていました。いま思うと、親がそれぞれの個性を尊重してくれていたんだと思います。

おかげで、僕は小1のときから、近所の池でフナ釣りなんかをしていました。小3のころには、祖母の家の近くの江ノ島、イサキやクロダイなんかも釣っていました。そういうことを「危ないから」と禁止せず、母が一緒に楽しんでくれたのを覚えています。結果、母も釣り好きになってしまって、僕が高校のころには、母のほうが釣りに誘うぐらいでした。

子どもと一緒に親も楽しむことを実践してくれていたし、子どもが何に興味があるのか、きちんと見てくれていたんだなあと思います。

『旅いくファーム』も参加する保護者の方々が、子どもと一緒に楽しむ、結果、子どもの好きなことを知る、そんな機会にしてもらえると嬉しいです。

5)自然は、情報の宝庫!

「魚を釣って食べる」体験は「食べる=命を頂く」ことを理屈でなく体で理解する瞬間

ああああああああああああああああ

生きものは、食事をしなければ生きていけません。野生動物は、多くの時間を食べ物を手に入れることに費やしますが、生きもののそうした基本原理は人間にもあてはまるのだと思います。

僕が黒鯛釣りにハマッたのは、小学校5年生のころです。鎌倉にいる親戚に教わりながら、夜釣りに出かけるようになったのが始まりです。釣りには、五感を刺激する要素がたくさんあります。
人間は、五感の中でもとかく視覚に頼りがちですが、夜釣りでは、この視覚がいつもより不自由になる分、ほかの感覚が鍛えられるのでしょう。夜、海辺では、昼間より強く、潮の香りやヨットのマストが風にうなる音などを感じます。
黒鯛釣りのえさにはカイコのさなぎをよく使うのですが、その独特の匂いや針につけるときの油分の感触、釣り糸を投げ入れる感覚や波の音なども、やはり昼間より強く感じるようです。

また、釣りの醍醐味は、生きものと糸一本でつながっているという緊張感です。海に吸い込まれた見えない針先に、魚が食いついた瞬間の感覚は、なんともいえないものがあります。生きものは、食べなければ生きていけませんが、その行為が、ほかの生きものの「命」に直結しているということを理屈でなく、体で納得する瞬間でもあります。

釣りでなくても、食べ物が手に入ったとき、人間は喜びを感じます。そして、それは、たとえば農業のようにその食べ物が植物であっても、 「命」を五感で感じることにつながります。いきなり釣りはちょっとハードルが高いかな、という方は、『旅いくファーム』で農業にチャレンジしてみませんか。植物も「生きている」、人間は「生かされている」、ということを五感を通して納得できますよ。

6)収穫は命の原点

自分で野菜を育てると、食べる意欲がわいてくる

あああああああああああああああ

自宅が八百屋だったおかげか、僕は、食べものを根本から知ることの大切さに、子どものころから納得していようです。人間は食べなければ生きていけませんが、では、どういうものを食べればいいのか。「食べる」という行為そのものも大切ですが、「食べるまでのプロセス」が、大変重要だと思います。

昨年行った「旅いくファーム」では、野菜のタネや苗植えから手入れ、そして収穫、調理と自分たちの食べものを自分たちで作り、育て、自らの体へ取り入れるという一連の作業を行いました。すると、ピーマン嫌いだった子どもが生のピーマンをかじって「おいしい!」と叫んだり、野菜が苦手なはずの子ども達が煮物を残さず平らげたりなど、保護者の方々も驚くことが次々と起こりました。

これは、子ども達が「自分で育てたものは安全だし、安心だ。だから食べよう」ということを、それまでの体験で納得したからにほかなりません。

「腑に落ちる」という言葉がありますが、子ども達は、自分で自分の食べものを作り、収穫し、食べることで、「食べる」という行為がどういうことなのか、それが自分やほかの生きものの「命」とどう関わっているのか、文字通り、「腑に落ちた」、つまり体で理解したのだと思います。

「食べる」ことは、単なる栄養摂取ではなく、自らの体や命に関わること。食べものを収穫するということは、たとえ植物であれ、ほかの命をいただくということ。自分も地球の一員だ、みんなつながっているんだ、と体得してもらえた瞬間です。

7)まわりの人と関わりあう環境

人と関わりあうことで、自然に社会規範が保たれる

ああああああああああああああああ

僕の実家が八百屋だったことは前回お話しましたが、そのため、子どものころ、ぼくは隣のおばさんも向かいのおじさんも、まわりの人だれもかれもがお客さんという環境のなかにいました。

なにかすれば、すぐ見つかるし、叱られる。親にはもちろん、近所中に知れわたる。悪いことはできませんでした。でも、おかげでその分、大勢の人に面倒を見てもらってる、ということを感じることができました。

あのころのおとなは自分の家の子どもも、よその家の子どももわけへだてなく接していたと思います。それに子どもを見守りながらも、干渉しすぎない。社会的にみて明らかに悪いことをしたら躊躇せず叱るけど、あまりにプライバシーに関わるところまでは踏み込まない、というような距離感も理想的でした。おとなたちが責任を持って子ども達を育てる地域環境が、僕の子ども時代には、日常的に存在していたのです。

現代では、よその人に口を出したくないし出されたくない、よそとうちとは関係ない、といった風潮が目立ちます。一見、合理的でどこもおかしくないように見えますが、そうなるとおとなたち同士でも社会規範を保つことができなくなります。おとなたちから子ども達への連結が断たれれば、社会そのものが成り立たなくなってしまいます。よそとうちとは関係ない、とみんなが考えることは、実はかえって大変な不利益となって社会を脅かすでしょう。

僕が『旅いくファーム』で作りたいのは、同年齢の子ども達同士だけでなく、異年齢の子どもやおとなたちが関わりあう環境です。『旅いくファーム』に参加される方々は、最初は知らないもの同士。でも、だれとでもわけへだてなくつながって、うちの子、よその子といった区別なく、それぞれがおせっかいでもいいから面倒を見あって、影響を与えあう。そんな環境を参加者の人たちとつくっていけると嬉しいです。

8)一歩外へ 広がる世界へ

外に出る、たびに出かけるで、子ども達の世界は広がる

ああああああああああああ

人間がなにかを体験するとき、体験そのもののも大切ですが、実は、そのときに感じる時間もすごく大切だと僕は思っています。

「物体が高速で移動するほど時間の進み方が遅くなる」という特殊相対性理論はちょっと置いておいて、たとえば、家から一歩も出ないで過ごした一日と、移動して畑仕事をして過ごした一日では、時間の長さの感じ方が全然違う。同じ体験でも、家の中でするのと外でするのとでは、時間の感じ方は変わります。

時間は万人にとって共通で、不変のもののように思えます。しかし、時間を感じるのが個人の脳である以上、その受け止め方によって、他人とも、自分の中でも違ってくるのではないでしょうか。外では、朝、日がのぼり、気温が上がり、風が吹き、生物が活動し…と、どんどん自然の状態が変化していきます。人間の脳は、そうした自然のうごきを感じ取るでしょう。それら刻々と変化する自然のうごきは膨大な情報量であり、脳は、都会の日常ではあまり使わない五感をフル稼働させて受け止めることになります。脳が受け止める情報の量や質、そしてその経路の違いが、時間の感じ方を左右しているのではないでしょうか。

つまり言い換えれば、外に出るということは、それだけで、自分の脳を広げることにつながっているのです。だから、一日30分でもいい、外に出てください。お子さんと散歩してみてください。いろいろなことが変わるはずです。

旅に出ることは、日常と異なる体験をすることでもありますが、ふだんと違う時間を味わうことでもあります。『旅いくファーム』は、参加した一日の時間を味わうだけでなく、全3回のシリーズになっているものもあるので、季節、作物の生長、人との関わり…といったいろいろな題材から時間が味わえます。生物が多種多様であるように、自分にとっての時間も多種多様である、そういうことを体で感じることで、世界は広がっていくように思います。